真実は存在せずすべては仮説の集大成に過ぎない

環境問題に関する情報発信をしていると、たまぁにSNSで

「その主張間違ってないですか?」
「この論文ではこう書いてありますよ」

といったご意見を頂くことがある。

言い方の微妙な違いはあれ、同じようなニュアンスのDMがほぼ毎日届く。

アグレッシブな方だと

「なので間違いを訂正された方がいいかと」

みたいな言葉も添えられていたりする。

たとえば

「この論文を見れば分かる通り、地球は温暖化なんかしていないことは明らか。」

みたいな意見だ。

こうしたご意見を頂く中で私が言いたいのは、

「科学はいくらでも反論が成立するものだ」

ということである。

一切の反論ができない「真実」みたいなものはこの世に存在しない。

どんな主張も、少し見る角度を変えたりすれば、多様な反論が可能なのだ。

科学というものは、どんな主張であれ、すべてが「正しいっぽい」ものに過ぎない。

今年の5月に読んだ「ライフサイエンス」という本にはこんなことが書いてあった。

科学には「真理や正しさをどこまで追究したところで、本当にそれが正しいかどうかはわからない」という前提がある。
吉森 保. LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義

たとえば、有名な万有引力の法則。これは、むちゃくちゃ簡単に言うと「すべてのものに引力が働いている」という法則ですが、これも、「どうやら確からしい」法則であって、100%絶対に正しいとは言えません。教科書では真理のように出てきますが、正確にいうと「真理っぽい仮説」です。
吉森 保. LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義

この本では「科学的な態度」について学ぶことができる。

私のように大学4年間で法律を学んだに過ぎない文系人間にはとくにありがたい本だ。

つまり科学っていうのは、どんな主張であれ、たくさんの仮説たちが集まった「仮説の集大成」に過ぎないのだ。

科学は「真実に近づこうとする営み」ではあるが、決してそれは真実ではない。

真実に到達できた理論などこの世に存在しない。

それが真実かどうかを確かめられる者がいないからだ。

だから「この論文にはこう書いてありました」っていうのも分かるし、それも一つの仮説。

ただ、100個くらい存在する論文のうちのたった1個を引っさげて「訂正してください」と言われてもなぁ。

論文は別に模範解答でもなんでもない。

私たちが主張していることは、5個、10個…とたくさんの仮説と触れ合い、多くの

「正しいっぽい」「間違いっぽい」

を積み上げ、自分たちが現時点で「かなり正しいっぽい」と判断した結果、いま現在の私の主張は形作られてているわけだ。

なので、一個の論文を提示されて「間違ってる」「訂正して」と言われても、なかなか飲み込むことはできないのだ。

(もちろん検証した結果、私たちの主張に間違いがあればすぐにでも訂正するし、普段からそうしている。自分の間違いを認められないのはシンプルに恥ずかしい大人だ。)

とは言いつつ、論文を添えてメッセージを送ってくる方はかなり丁寧な方だなとも思う。

サステナビリティっていう業界に身を置いていると、何気に「非科学的」な態度や主張をよく見かけるので。

気候変動とか地球温暖化っていうのは「科学的に正しいっぽい」主張がたくさん積み上げられてきたからこそ、世論の支持を得ていたりする。

だからこそ、環境問題を発信している私たちもまた、出来る限り多くの支持を得られるよう、科学的な態度で振る舞うことは重要だと思うのだ。

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