地球温暖化が問題視され、脱炭素という言葉を聞くことが多くなった昨今。
畜産の環境負荷の大きさから、ヴィーガンという生活スタイルが注目されています。
実際、アメリカでは代替肉の企業が時価総額1兆円を超えたりして、確実にヴィーガン市場は拡大しています。
我が国においても、アーモンドミルク市場が2013年から毎年二ケタ成長を遂げ、2020年には100億円を突破。
動物性の代わりを求める人が着実に増えていることが分かります。
こうしてサステナビリティに関する情報発信をしている私も、お肉を食べる量を減らす生活を送っています。
ただ、環境負荷の観点から牛肉を食べる量を減らしておりますが、ヴィーガンではありません。
鶏肉も卵も魚も普通に食べます。
で、サステナブルなテーマについて発信をしていると、多くのヴィーガンの人たちとも交流しますし、逆に否定的な意見を持った人とも出会います。
そうしてヴィーガンに対する様々な価値観に触れる中で、個人的に思うことが沢山あったので、こうして記事にすることにしました。
ヴィーガンなのに動物性を食べている
「ヴィーガンを名乗っている芸能人が動物性の食べ物を食べている!」
というネットニュースをよく見かけます。
これに関しては、矛盾というよりも、批判している人の勘違いであるケースが多い印象です。
というのも、往々にして「その芸能人自身がヴィーガンを名乗ったことがない」んですよね。
動物性を一切食べないヴィーガンではなく、食肉の量を減らすフレキシタリアンである場合がほとんどです。
例えば芸能人のローラさんとかがまさにそうです。
フレキシタリアンは、私のように「畜産と環境問題」という観点からお肉を食べる量を減らしている食生活です。
お肉を食べない、あるいは減らしている人の中にも、動物倫理的な理由、健康的な理由、環境的な理由、宗教的な理由、様々な動機があります。
中でもフレキシタリアンは、あくまでお肉の食べる量を減らす食生活であり、完全に食べないわけではありません。
なので、お肉の写真をSNSにアップしていても別に矛盾はしていません。
ファッションヴィーガンだ
こう説明すると、往々にして
「フレキシタリアンとか…結局ファッションヴィーガンじゃん」
という反論が返ってきます。
いやほんと、ヴィーガンに関するニュースのコメント欄では高確率でこういうコメントが見つかります。
しなしながら、フレキシタリアンの何が矛盾なのかがよく分かりません。
だって、週7日牛肉を食べていた人が、週6日に減らしたとしたら、週1日分の牛肉のCO2排出量は減らせるわけです。
例えば、牛肉は減らしたけど、逆に豚肉を食べる量が増えて、結果的に一人分のCO2排出量が増えていた…というのなら矛盾というのも理解できます。
言動と行動・結果が一致していないわけですからね。
でも、環境負荷を減らす目的でお肉を食べる量を減らし、そして実際にCO2排出量の低下に繋がっているのなら、「CO2を減らす」という結果が伴っているわけですから、なんら矛盾ではありません。
加えて言うと、仮にファッションであっても、それがダメな理由も分かりません。
芸能人の真似だろうが、中途半端だろうが、別にいいじゃないですか。
なにごとも、入り口はファッション感覚だったりするものです。
例えばキャンプにしろ、スノーボードにしろ、まだ始めてもいないのにめちゃくちゃ洋服を買いこむ人っていますよね。
でも、入りこそファッション感覚だったけど、いざ始めてみたら段々のめり込んでいって本格的にハマって技術を高めていく…なんてよくあることじゃないですか。
フレキシタリアンから入り、動物性を減らす食生活に慣れたら、ヴィーガンに移行する人だって一定数いるでしょう。
完璧じゃないモノのはすべて矛盾だ、という主張が理解できません。
市場をつくるのはいつだってニワカでありライトユーザーです。
最初はファッションだっていいんです。
本質は後からついてきます。
【関連記事】ヴィーガンと環境問題は関係大あり?その真相についてお話します
動物実験が行われている薬を使用している
「薬をつくるときには動物実験がされている。」
「食事では動物搾取を否定しているのに、薬をつかうのは矛盾だ。」
という意見もよく見かけます。
しかしながら、これについてはどこが矛盾しているのかが分かりません。
「薬を使う+お肉を食べる」
「薬を使う+お肉を食べない」
の二択だったら、お肉を食べない人の方が、一人が搾取する動物の数は「お肉分」は減っているはずです。
薬は使うけどお肉は食べない、という人が増えれば、世界で搾取される動物の数は減るはずです。
完璧じゃない人のことを矛盾と表現するのは、学校の試験で「100点以外ありえない」「80点は矛盾だ」と言っているようなものです。
ベターでいいじゃないですか。
なぜベストじゃないと矛盾になるのでしょう?
野生動物だって他の動物を殺している
「動物を殺すないうけど、動物はもっと動物を殺している」
というのもよく見かける批判です。
肉食動物は他の野生動物を食べて生きていますからね。
でも、重要なのは「動物と人間とでは殺し方が全く異なる」という点です。
そして世界で問題視されているのは「工業型畜産」です。
別に先住民が動物を狩りすることは問題になっていません。
放牧地と飼料の農場をつくるために森林伐採をし、狭い工場で大量の牛や豚を閉じ込め、エサをやって育て、最終的に殺す…という流れ作業が工業型畜産です。
この工業型畜産により、飼料を育てるために熱帯雨林が大量に伐採されたり、牛のゲップによるメタンガスなどが問題になっているのです。
野生動物が他の野生動物を殺す際に、地球規模の森林伐採をしたり大量のCO2をまき散らしたりするのでしょうか?
野生動物が野生動物を殺すのと、現代の人類が動物を殺すのとでは、全く性質が異なるのです。
もちろん畑の食べ物を食い荒らしたり、時として人間を攻撃してくる害獣を殺す、ということは私も理解が出来ます。
自分の縄張りを守ることは動物としての生存本能ですから、全く自然の原理に反していません。
ですが、生態系に与える影響の度合いを考えれば「工業型畜産」と「動物の捕食」を同一視するのはさすがにナンセンスです。
押しつけがましい
「矛盾」とは異なりますが、ヴィーガンに対する批判として「押しつけがましい」という言動もよく見受けられます。
こういうコメントを見ていっつも思うんですが
「本当に日常生活でヴィーガンの人から面と向かって肉を食べないよう迫られたことがあるのか?」
と聞いてみたいです。
いやもちろん中にはいるんでしょうけど、少なくとも私はそういう経験をしたことがありません。
SNSとかニュースを見ただけで、押しつけがましいと感じてしまっている人もいるような気がします。
いわゆる「エコーチェンバー」ってやつです。
SNSのような閉鎖的空間において、自分の好きな人、似た価値観の人たちだけで繋がっていると、色々な情報を幅広く受け取っているようで、実際には無意識的に自分の知りたい情報だけを受け取っていて、特定の価値観が増幅されてしまう現象です。
これにより、一部の過激なヴィーガンの発言や、それを批判するコメントを積極的に受け取ることで、「ヴィーガン=押しつけがましい」という価値観が勝手に強化されてしまっているような気がします。
まぁこれに関しては完全に私の主観ですけど。
日本は欧米に比べてヴィーガン人口が圧倒的に少ないはずなのに、そんなに日常生活で面と向かって押し付けられることってあるのかなぁと疑問に思っています。
私の疑問「倫理的な理由」
私は基本的にヴィーガンというライフスタイルに対してネガティブな感情は抱いておりません。
ただ一点だけ、どうしても拭い去れない疑問があるのです。
それは「倫理的な理由で動物を食べない」という思想です。
ヴィーガンになる人の中には「環境」「健康」「倫理」という3つの理由からなる人がいるそうです。
個人的に、環境と健康という理由からヴィーガンになるというのは理解できます。
が、「動物の命を奪うのは倫理に反するので食べない」というのはいまだに理解できずにいます。
それでは、植物の命を奪うことは倫理的に問題ないのでしょうか?
この疑問に対しては「動物は痛みを感じるが、植物は痛みを感じない」という定番の回答が存在します。
そして、この回答にこそ、私の疑問のほとんどが集約されています。
「植物が痛みを感じない」などと、どうして断言できるのでしょうか?
それはおそらく、動物が痛みを感じるような「神経器官」が植物にはないから、という理由だと思うんです。
でもそれって「最新の科学で人類が知りうる範囲においておそらく植物は痛みを感じない」と推測しているだけですよね。
ちなみに米サイエンス誌に掲載された研究では、植物も痛みを感じている可能性を示唆しています。
植物は害虫などによってかじられた時、傷ついた細胞からグルタミン酸を流出します。
このグルタミン酸が受容体と結合することで、細胞内でカルシウムイオンのシグナルが発生し、全身に伝わっているそうです。
つまりグルタミン酸が植物における「神経伝達物質」のような役割をしているかもしれないのです。
あるいは2023年ジャーナル誌『CELL』に掲載された研究によると、植物は生存を脅かされるようなストレス(例えば茎を刈り取られるような)に直面すると、人間が知覚できない超音波を発することが明らかになったりしています。
もしかしたら、これは植物による「叫び」ではないかとも推察できます。
まぁ私が挙げた2つの研究結果も科学的な「仮説」に過ぎません。
科学は仮説の集合体に過ぎません。
私たち人類はまだまだ知らないことばかりなのに、”現時点で科学で明らかになっている仮説”だけをもとに「植物は痛みを感じない」と断定するのは、あまりに人間中心主義的な発想です。
しかも現代の科学の進歩の大部分は「動物実験」に支えられていると言っても過言ではありません。
そして動物倫理を掲げる人たちは、往々にして動物実験を否定します。
それなのに、動物は食べてはだめで、植物を食べてもいい理由として「科学」を根拠にしていることに、私は疑問を抱かずにはいられません。
そしてもし、植物を食べてもいい理由として”痛み”という「科学」を論拠にするのなら、「植物が痛みを感じる可能性」を排除してはならないでしょう。
動物であれ植物であれ、命は等しく尊いものであると私は考えています。
動物倫理を掲げる人の中にはよく「種差別」という言葉を用いる方がいらっしゃいます。
ヒト以外の生物に対する差別のことです。
でも「痛み」を基準にして、「痛みを感じない種は食べても良い」と区別することの方が、私は植物に対する差別意識を感じます。
「痛み」を感じるかどうかで命に差は生まれません。
そしてあらゆる生命は、他の命を頂くことでしか生きることはできないのです。
ですから、私は食の選択において「倫理的な理由による命の選別」はしません。
ただし、私はヴィーガンというライフスタイルを否定したいわけではありません。
自分自身が納得できる回答を知りたいのです。
ですのでぜひ、私の疑問に対するヴィーガンの人たちの考えを教えて欲しいです。
最後に
ヴィーガンの人でも言動と行動が矛盾している場合もあるでしょう。
でも、それってヴィーガンに限らず、誰でもそうじゃないですか?
矛盾のない生き方をしている人なんてだれ一人いません。
「矛盾を正せ」という人も、多くの矛盾を抱えて生きているはずです。
戦争とか紛争に反対している人がスマホを使っていたなら、それも矛盾です。
スマホにはレアアースが使われており、レアアースは武装勢力の資金源となっています。
スマホを買うことは、間接的に紛争を助長していることになります。
皆さんが働いている会社はどうでしょう?
世界中の誰もが喜ぶ商品やサービスだけを作っていますか?
商品の生産過程で誰も苦しめていないと言い切れますか?
本当は少なからず矛盾を感じながらも、仕事だからと割り切っている人も多いのではないでしょうか。
この世界は矛盾と不条理に満ちています。
矛盾していようが、不完全だろうが、理想を目指すのが人間というものでしょう。
ヴィーガンの人も、お肉を食べる人も、互いに理解し合える社会になるといいなーと思ってます。
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