毎年4月22日は私たち人類にとって極めて重要な1日です。
皆さんは何の日かご存知ですか?
「地球の日(アースデイ)」です。
あらゆる生命の母なる大地について考える日です。
50年前のアメリカでアースデイが生まれた背景には、隠れたヒューマンドラマがあります。
たった一人の男性の行動が、学生から政治家まで徐々に多くの人を巻き込んでいきながら、法改正などに影響を与えてきたのです。
実はアースデイは日本のある制度にも影響を及ぼしました。
アースデイがどのように生まれ、現代を生きる私たちにどんな影響を与えてきたのか、一緒に歴史を紐解いていきましょう。
アースデイの歴史
アースデイの誕生は、1960年代から70年代のアメリカに遡ります。
当時のアメリカでは、ベトナム戦争の長期化と泥沼化に伴い、多くの国民はテレビを通して戦争の生々しい状況を目の当たりにしました。
テレビに映し出されるベトナム戦争は、次第に国民の政治不信を高めていくことになりました。
政府が言う「戦争は順調に進み、勝利に向かっている」という説明と、メディアで報じられる「兵士や民間人が苦しみ犠牲になっている」という現実の食い違いがあったからです。
こうした社会情勢は、やがて反戦運動、学生運動、公民権運動が活発化する機運に繋がりました。
そして、従来の社会の常識や権威に異議を唱える「カウンターカルチャー」の勢いが増していったのです。
また、当時のアメリカで深刻な社会問題になっていたのが、環境汚染です。
自動車の排気ガスや工場の煙などによる大気汚染、工場排水や生活排水などによる湖や河の水質汚染、これらによる酸性雨、有害な農薬の使用などが問題となっていたのです。
一方で、アメリカ国民は環境問題への関心が高まりつつあったものの、具体的な行動に移す人はまだ多くはありませんでした。
そこで一人の男性が立ち上がります。ゲイロード・ネルソンという政治家です。
1948年までウィスコンシン州の上院議員、1958年からは州知事、1963年から3期連続で合衆国上院議員を務めました。
州知事時代には、企業が人種や宗教に基づいて差別することを違法にし、ベトナム戦争に費やされる資金を国内の貧困問題や環境問題などの解決に充てるべきだと主張。
戦争に対しても早くから熱烈な批判を展開したりして、高い倫理観を持ち合わせた人物でした。
そんなネルソンを行動に駆り立てるきっかけとなったのが、1969年1月28日。
サンタバーバラの海岸から10km沖合で原油が流出し、何千羽もの海鳥、イルカ、アザラシ、アシカなど、無数の海洋生物が死ぬという大惨事が発生しました。
こうした大惨事を目の当たりにした翌年、1970年にネルソンは「環境問題についての全国討論集会」を呼びかけました。
そして集会が開かれた4月22日を「アースデイ」とすることを宣言したのです。
当時はインターネットもSNSもない時代であるにも関わらず、ネルソンの呼びかけに対して2000万人以上の人々が路上に集まりました。
スピーチに聴き入り、環境保護のための運動を起こしたのです。
カウンターカルチャーが広がり、共に集団行動を起こすエネルギーが、多くの人たちに有り余っていたからこそ、この団結を可能にしたのかもしれません。
この大規模な運動は、やがてアメリカ政府を動かし、現在の環境保護庁(EPA)の設立と環境保護法の制定に繋がりました。
1990年には、アースデイは世界規模のムーブメントへと発展します。
世界141の国や地域で2億人が参加し、環境保護への意識が世界中に広がったのです。
歩行者天国はアースデイの影響
アースデイの影響は、海を越えて日本にも波及しました。
アースデイ東京によると、銀座の歩行者天国は、アースデイがキッカケだったと言われています。
1970年といえば、日本で初めての万博が、大阪で開催された年でもあります。
当時は日本でも、急速な経済成長の代償として、大気汚染や水質汚染といった深刻な環境汚染に直面していました。
特に自動車の排気ガスによる大気汚染は問題となり、「車優先」から「歩行者中心」への転換が社会的に求められました。
そして、アースデイが宣言された4ヵ月後の1970年8月2日。施策として「歩行者天国」が導入されます。
銀座、新宿、池袋、浅草といった都内の主要繁華街で「歩行者専用道路(カー・フリー・ゾーン)」が一斉に実施されました。
すると、普段の日曜日のおよそ2倍にあたる78万人以上の人々が集まり、特に銀座では10倍の23万人もの人出で、大いに賑わいを見せました。
真夏の炎天下ということもあり、道路には植木やビーチパラソル、縁台などが登場。
道路に座り込んでお弁当を広げたりする若者たちの姿が見られるなど、非日常的な光景が広がっていました。
歩行者が増加したことで、周辺店舗の来客数も増加するという、嬉しい影響もありました。
また、自動車の通行を止めたことで、排気ガスを減らし、一酸化炭素の濃度を大幅に減少させることに成功。
こうした成功を受け、のちに歩行者専用道路は全国へと波及していきました。
国会では環境汚染に対応するため、公害対策基本法などの環境法が整備され、公害関連14法案が可決。
この法案は日本の公害防止対策の基礎となり、その後の環境政策に大きな影響を与えました。
そして翌年1971年に、現在の環境省が発足します。
世界は変えられる
ところで、アースデイの生みの親であるゲイロード・ネルソン上院議員は、
1963年に当時の大統領ジョン・F・ケネディを説得し、環境問題に関する演説をしてもらうために「環境保護ツアー」を依頼していました。
アメリカ合衆国の大統領と言えば、世界で最も大きな影響力を持つ存在です。
環境保護においても大きな影響力を発揮すると思われましたが…。
このツアーは失敗に終わります。
ケネディ大統領の演説に誰も耳を傾けず、マスコミも関心を持ちませんでした。
当時は、反戦運動や学生運動などの社会運動、アメリカとソ連が対立する冷戦関連のニュースが大きく取り上げられ、環境問題に関する報道は注目されることはなかったのです。
しかしネルソンは諦めませんでした。
1969年、今度は小規模で生まれたばかりの自然保護団体に、「学生たちと協力して、一斉に環境問題に関する講義を開催し、国会議事堂に環境保護の強いメッセージを打ち出したらどうだろう」と提案しました。
するとどうでしょう。
ネルソンの提案は、通信社に取り上げられ、全国紙が注目するようになりました。
そして4月22日、地球環境に対する集会、講演会、保護プロジェクトのイベントを全国で開催しました。
SNSがなかった1970年代にも関わらず、1万の学校、2,000の大学、1,000を超えるコミュニティから、2,000万人もの市民が自らの意思で参加し、社会を変えるため行動を起こしたのです。
これは当時の米国人口のほぼ10%に相当します。
小さな一歩から
本日お伝えしたアースデイの物語から、現代を生きる私たちは一体どんな教訓が得られるでしょうか。
それはきっと「世界を変えるのに、偉人である必要はない」というメッセージではないでしょうか。
アースデイは無名の人たちから始まった運動です。
アメリカ合衆国大統領ですら生み出せなかった大きなうねりを、小さな自然保護団体と学生たちがつくり出してしまったのですから。
彼らの声が広がり、環境保護の法律が作られるなど、世界に大きな影響を与えてきました。
いつの時代も「世界は変えられる」と信じた名もなき人たちの小さな行動によって、偉大なる進歩が生み出されてきました。
私たちが起こす小さな行動も、決して無力ではないという希望が湧いてきませんか?
アースデイにする取り組み
「アースデイに何かしたいけど、何をすればいいか分からない」という人もいるかもしれません。
日本で行われる環境ムーブメントとして、最も大規模なのが「アースデイキャンドルナイト」です。
夜8時から10時までの2時間、電気を消してキャンドルを灯すのです。
ロウソクに灯る火をじっと眺める機会もそう多くないでしょうから、きっと非日常的な時間を味わえるはずです。
余談ですが、火の揺らめきには、川のせせらぎや雨音と同じく、1/fゆらぎ(エフぶんのいちゆらぎ)と呼ばれるリラックス効果があるそうです。
私たちが電気のお世話になり始めたのは、エジソンが電球を発明した1879年からおよそ150年程度です。
しかし人類が火を使うようになったのは10万年以上も昔です。
私たちが火に癒されてしまうのは、ある意味本能なのかもしれません。
揺らめく火を見つめながら地球に思いをはせる、穏やかな時間を過ごしましょう。
最後に
インターネットの大海原から、偶然にもこの記事にたどり着き、同じ時を過ごした私たちで、共に行動を起こしましょう。
難しいことはありません、ほんの少し指を動かすだけです。
この記事を保存、周りのみんなにシェアすることで、アースデイの輪を広げることができます。
より多くの人にアースデイを知ってもらい、行動を促すきっかけになります。
「世界を変えるのに、偉人である必要はない」ことを、アースデイとネルソンから教わりました。
私たちの小さな行動が、世界を変える大きな一歩となるかもしれません。
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